第五章 さぶさんとの「お別れ」
第五章 さぶさんとの「お別れ」
何日、いいえ何か月くらいたったでしょうか。
みち、ぬり、そして「さかなとり」の名コーチで、二匹の「保護者」でもあるさぶさん、の三匹のくまたちは、そのあいだ、ずーっと長い眠りについていたのですが、ここ二、三日前から、だんだんとその眠りが浅くなってきました。
つい前日まで、「さかなとり」の夢を見ていたのか、
「むにゃ、むにゃ……。あの、あの、もう食べられません……。ふうー」
と、寝言をいいながら、寝ていたぬりが、
「ふわー、ふわー」
と、薄目をあけて大きなあくびを二回しました。
横に寝ているみちは、「うが、うご」っと、小さないびきをかいてまだ眠っています。さぶさんは? というと、なんだか「冬眠」の達人といったふぜいで、音もたてずに静かに寝ているようです。
「なんか、お部屋の中がだいぶんあったかくなってきたように思うなぁ」
ぬりは、そう感じて、まだ寝ぼけまなこながら、扉のほうによたよたと歩いていきました。
そっと扉に前足をかけてみると、どうでしょう。「冬眠」に入る前にはびくともしなかったあの扉が、すーっと開くではありませんか。
「うわー、扉があいた!」
思わずぬりは歓声を上げてしまいました。
その声に、さぶさんは目を覚まされました。みちのいびきもぴたっととまりました。
「うん? どうした? なんだ?」
「ぬり、だいじょうぶ?」
二匹のくまは、寝起きがいいのか、すばやくぬりの声に反応しました。
「あっ、ごめんなさい、ごめんなさい。起こすつもりじゃなかったんです」
「いや、まあ、いいさ。それより、どうしたい? ぬり」
さぶさんがやさしくぬりに聞きました。
「あのね、ぼく、ちょっと目が覚めて、なんだかお部屋が少しあったかいな、と思ったので、お外を見てみようとしたんです。それで、扉に前足をかけたら、ほら、すーっと開いたんですよ!」
ぬりは、少し開いた扉を指しながら、興奮気味に言いました。
「へえ! みんなで『お休みなさい』っていったときにはびくともしなかったのにね」
と、みちが言うと、さぶさんが重々しい口調で言いました。
「冬が終わったんだ、ぼうやたち。まだ、雪は残ってるかもしんねえけど、これからどんどんあったかくなるぞ。さあ、そろそろ、おれたちもいつまでも寝てるわけにはいかねえぞ」
「っていうことは、『はる』が来たの?」
「そうだ、ぬり。まだ、完全に来た、とはいえないけど、すぐそこまで来てるってことだ」
「春」──くまたち、いいえ、森に住む動物たちにとって、なんて甘美な響きの言葉でしょう。そして、みちとぬりにとっては二度目の「春」です。
この一年、二匹のくまは、たくさんの森の住人から親切にされました。そして、厳しい冬を前にして困った時に、さぶさんという、このうえないくまの大先輩と出会い、さぶさんに守られ、そして、いろんな「知恵」を授かって、なんとか一人前のくま──まだ仔ぐまですが──になることができました。
ほんの少しですが、体も大きくなったようです。
三匹のくまは、こうしてそろって「冬眠」から目覚めると、毎日お家の外に出て、少しずつ少しずつ体操をするように体を動かしました。くまたちはそうやって、長い眠りでなまった体を元に戻して行くのです。
晴れの日が何日も続くと、だんだんとまわりの雪もとけだしていきます。三匹がさかなとりをした川の水量も、「雪解け水」でいっぱいになって、ものすごい勢いで流れています。
やがて、ところどころ黒や茶色の地面が現れてくるようになりました。あるいはまた、雪の中から黄色いお花──福寿草──が顔を出しているところもあります。
去年のこの時期には、こんな景色の変化に気づく余裕のなかったみちとぬりですが、今年は違います。毎日毎日違う姿を見せる景色に、二匹は興奮気味でした。
まだ残る雪の上で、ときどき、みちとぬりは「追いかけっこ」をしたりして遊んだりしました。
「みちさん、春っていいねぇ」
「うん、ぬり。毎日景色が変わっていくね」
そうやって、楽しそうに遊び、語り合う、二匹の兄弟仔ぐまの姿を遠くからみながら、さぶさんは、すこし涙ぐみました。そうして、
「うん、うん。よかったなぁ、ぼうやたち。去年はつらかっただろうなぁ。でも、もう、でえじょうぶだぞ。ぼうやたちは、もう立派に自分たちだけで生きていける」
と、ひとりうなずくのでした。
やがて、さぶさんと二匹の、「別れ」の日がやってきました。
えっ、どうして別れるのかって?
じつは、くまたちは、人間とちがって、生まれてからの一年を親といっしょに過ごしたあとは、親と別れて自分で自分の面倒を見るのが普通なのです。
だから、二匹の「親代わり」をしてきたさぶさんとしても、ほんとうはもっと二匹といっしょにいてやりたいのはやまやまなのですが、「くま界のおきて」にしたがって、涙をのんで、二匹と別れることを決心したのでした。
「みち、ぬり。よーく聞くんだぞ。ぼうやたちは、この一年、立派に生きてきた。それはそれはえらかった。そして、冬を前にしては、立派にさかなをとることもできるようになった。だから、もうでえじょうぶだ」
とつぜんのさぶさんのあらたまった態度に、みちもぬりもぽかんとしています。
「さぶさん、なにが言いたいの?」
「ぼうやたちは、もう立派なくまになったってことだ」
「ええ? まだまだですよ、さぶさんと比べたら」
ぬりが例の「ちょっぴり恥ずかしながらも誇らし気なポーズ」で言いました。
「いや、もう、ぼうやたちだけで、充分やっていけるさ」
ここまでさぶさんが言うと、さすがに二匹は、さぶさんがいつもと違うことに気づきました。そうして、さぶさんがこれから何を言おうとしているのか、なんとなく分かってきました。それを察してか、ぬりが聞きました。
「でも、さぶさん。これからもずっといっしょですよね?」
「……いや、それはならねえ」
「どうして?」
「それはな、『くま界のおきて』なんだ。この『おきて』には逆らっちゃならねえんだ」
「よく、わかんないよ」
みちは、目にうっすらと涙を浮かべながら言いました。
「ぼうやたちには、父ちゃんや母ちゃんがいない。だから、なおのことわかんねえんだろうがな……。くまは、 いつかは親と別れて自分で生きていかなくちゃなんねえんだ。どうしてかっていうとな、ぼうやたちと違って、普通に親がいるくまでも、みんないつかは親のほうが先に死ぬんだ。そのとき、ずーっと親掛かりで食べさせてもらってたら、そのくまは、親がいなくなるとどうなる? もう生きていけなくなるんだ。だから、そうならねえように、どんなくまも、一年がたつと、親と仔は別れる運命にあるんだ」
「でも、でも、それは親子の場合ですよね。さぶさんはぼくたちの親じゃないですよ。それに、それに、ぼくたちはもうちゃんとおさかなもとれるし、いざとなっても、ちゃんと自分たちでも生きていけますし……。だから、だから、ぼくたちは、さぶさんとずっといっしょにいたっていいはずです……」
最後は涙声になりながら、ぬりが言いいました。
「おじさんだって、つれえんだ。ぼうやたちと、できることならずっといっしょにいてやりてえんだよ」
「じゃあ、じゃあ、いっしょにいましょうよ、えーん、えーん」
泣きじゃくるぬりの横で、やはり目にいっぱい涙を浮かべていたみちは、なにかをさとったようにいいました。
「ぬり。仕方がないよ……。さぶさんだって、いっしょにいたいんだ。それはね、普通のくまの家族でもきっとそうなんだ。誰が好き好んで子どもと別れる? みんなきっとつらいんだよ。でも、別れなくてはいけないんだ」
「どうしてですか? どうしてですか? ぬりにはちっともわからない」
もう、さぶさんもなんにも言わなくなりました。
しばらく、ぬりのしゃくりあげる音だけがしていました。やがてみちが口を開きました。
「さぶさん、ぼく、わかったよ。いまはこうして泣いているけど、ぬりだって、きっと理屈ではわかっているんだ。だから、もういいよ。そんなに気を使わないで」
「みち……」
さぶさんの目からも涙があふれそうでした。
「さぶさん、ぼくたち大丈夫だよ。さぶさんには、いっぱいいっぱいいろんなことを教えてもらった。ほんとにほんとにありがとう。ぼくたち、さぶさんに会わなかったらきっと、生きられなかったと思うんだ。でも、もう大丈夫。だから、だから、ぼくたち、もう、おいとまするね。さぶさん……。見送りはいいからね。だって、見送られているって思うと、かえってつらくなっちゃうから……。ぼく、きっと振り返らないからね。この道をずっといけば、ぼくたちが去年までいた元のお家へいくの、ぼく知ってるから……。だから、さぶさんも反対側を向いて歩いてね。約束だよ。でも、いつか、きっと、いつか、またどこかで会えるよね。そのときは、ぼく『やあ、さぶさん』って必ず言うからね……。じゃあ、ぼくたち行くね。ほんとうにありがとう。さようなら」
みちの言葉はほんとうは、最後には、もうほとんど泣き声で何を言っているのかわからなくなっていました。そうして、みちはまだ泣きじゃくっていたぬりの手を引いて、
「さあ、ぬり、もう泣かないで。行くよ」
と言いました。
二匹の仔ぐまはそうしてとぼとぼと歩き出しました。
二匹はうしろを振り向きたくなるのをぐっとこらえました。もし振り向いていたら、きっと戻ってしまったことでしょう。
あれほど泣いていたぬりも、いまは歯を食いしばって、前だけを見ていました。でも本当は涙で前さえも見えなかったのです。
さぶさんは……?。
さぶさんは、みちに「反対側を向いて歩いてね」と言われたにもかかわらず、ずっと二匹を見ていました。でも、さぶさんの目も、じつは涙でいっぱいで、ほとんど二匹の姿が見えていませんでした。
「みち、ぬり、たっしゃでな。いつかまたどこかできっと会えるさ。それまでに立派なくまになるんだぞ」
さぶさんはそう言いながら、あふれ出る涙をぬぐおうともせずに、二匹が完全に見えなくなっても、ずっとその場所に立っていました。
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